マーガレット・アトウッド『誓願』は希望のある小説だった
前作『侍女の物語』を読んだのは確か4年前くらい。
『ハンドメイズテイル』というドラマが話題になっているというツイートを見て、配信サイト(Hulu)の契約をしていなかった私は原作を読むことに。
当時の私はこの本を読んで、ものすごくショックを受けた。
これが1985年に出版されたなんて、私が生まれるかなり前に書かれた本だなんて信じられなかった。
それくらい私の暮らす世界に近くて、最近の小説のように感じた。
そんな私に大きな影響を与えた本の続編が2019年に出版され、日本語訳が2020年に出版された(やっと借りて読めた)。
34年経って続編!
続編が読める時代に生きていてよかった。
『誓願』の主な登場人物は3人。
リディア小母
『侍女の物語』でも登場したギレアデを統治する数少ない小母のうちでもとりわけ高位な存在。
クーデターが起こる前は判事をしていた。
ギレアデの創設期に女性を監督する地位に就き、小母として大きな権力を手に入れた。
周囲や自分の言動すべてを書き残し後世に伝えようとする。
デイジー
ギレアデの隣国のカナダで暮らす16歳の少女。
古着屋を営む両親はやたらと過保護だがあまり愛情を注いでくれないため、なんとなく家庭で居心地の悪さを感じていた。
成長するにつれて両親が自分と血縁関係がないことに気づく。
ある日学校から帰ると両親が爆発で亡くなっており、両親の仕事仲間から自身の秘密を打ち明けられる。
アグネス
司令官の娘として生まれる。妻になる高い身分の女性として大切に育てられるが、自分の置かれた環境や将来に違和感を抱くようになる。
14歳になったときに権力のあるかなり歳上の権力のある男性と結婚することを決められたが、直前にある行動を起こす。
『侍女の物語』はアメリカ国民から侍女になった女性の暮らしを淡々と描いたものだった。
そもそもギレアデの体制に巻き込まれ、全てを奪われて侍女にされた女性が主人公だったため、彼女の周りについての限られた情報しかわからない。
視野が狭いような感覚だった。曖昧なところは想像で補いながら読んでいた。
女性の財産の所有、職業選択、結婚や出産の自由などのあらゆる権利がある日突然男性に所有されるようになったこと、それだけでなく同じ性別でも階級が生まれたこと、名前が奪われたこと…
単調な生活を送る侍女の生活から分かる情報はわずかだし、感情の描写はほとんどなかったはずなのに、読んでいてつらかった。
しかしどうして国家がこんな体制になってしまったのか?女性の権利は徹底して奪われているけれど小母たちはなんで特別扱いなのか?他国との関係は?などと疑問だらけだった。
今作は侍女ではない上記の3人の登場人物の視点で話が進む。
『侍女の物語』は侍女以外の人物像は定型化されているというか、あくまで立場が違う他人なのであんまり深く描かれていなかったんだけど、『誓願』は他の立場の女性が主役になることで前作よりもギレアデという国が俯瞰できるようになっている。
前作では侍女に冷たい妻も、感情がないのかと私が勝手に思っていた小母も、当然人間らしくてほっとした。
感想としてはまず架空の国家なんだけど、ギリアデ共和国は常軌を逸した格差社会で、特に女性側の自由がない生活があまりにリアル。
侍女でない立場の人間が主人公になってもその印象は変わらなかった。
こんなのありえないって思いたいけれど、今日のオリンピックのゴタゴタを見ていると、何かの拍子に世界が変わっちゃうんじゃないか、自分の全てが奪われることもあるんじゃないかってくらい、身近にありそうでぞっとした。
個人的にギレアデで怖いと感じたのは、特権階級が裏で人を痛めつけたり罪を被せても見て見ぬふりをされるところと、大半の女性はそもそも知識を与えられないところ。
偉い人の罪は揉み消され、下層に行動や責任だけが押しつけられる社会。
そもそも社会の仕組みがいちばん良くないんだけども、上の人の罪は全く明らかにされない。
よくこんな巧妙で地獄みたいな仕組みを考えたなってびっくりしてしまう…
たぶんピラミッドの頂点にいる人以外は全員こんなのおかしいと思っていると思う。
私だって同じ状況だったら思うだろう。
理不尽なのは間違いないけど、声をあげたら次にやられるのは自分。
何もしなくても自分の階層や振る舞いがだれかの恨みを買って報復されるかも。
しかも徹底的な監視社会で、変な行動を起こしたら、もしくはその疑いをかけられたらまず捕らえられてしまう。
これがずっと続いたら誰に怒りを向ければいいのかわからなくなってしまうし、恐怖で何もできなくなってしまうのでは?
国家の支配から逃れるには命をかけて逃亡するしかないけど、それも簡単ではない。
そして「女性は頭が小さいから、男性みたいにものを考えるのには向いてない(だから何も教えない)」が国の思想だなんてぞっとしてしまうよ…
ギレアデの国民として普通に育つとそんな体制に囚われていることに気づけないというのも怖い。
ちなみに前述した通り、リディア小母は『侍女の物語』ではただの指導者の1人だったが今作ではメインキャラクター。
こんなとんでもない社会を作るのに一役買ってきて、だれもが恐れるリディア小母は、もともと判事の仕事をしていたバリバリのキャリアウーマンだった。
ある日突然クーデターが起こり、国中の女性が財産や職業を奪われ、捕らえられてしまう。
女性は子どもを産めそうか、知識層であるかどうかなどの基準、つまり新政府から見た価値の有無で選別されていく。
リディア小母はいわゆる「学のある女性」として選ばれ、ギレアデの女性を束ねる能力のある支配者として再教育された。
世の中のために戦ってきた人が、自由のない国を作ることに全てをかける人になってしまった。
そんな感じで(雑)、選民思想と差別と格差と監視と裏切りでやってきた国は、表面的には穏やかな空気が漂っているように見えて内実はめちゃくちゃという状態になってしまった(当たり前)。
閉塞感が漂う腐敗しきった社会を目の当たりにしてきたリディア小母は、ずっとそのことを地道に記録してきたんだけど、自らの手でギレアデに壊滅的なダメージを与えることを決める。
真実が明らかになったときに、ギレアデでかなりの地位にある自分の立場が危うくなることを知りながら。
ギレアデをぶっ壊す方法を必死に考えるリディア小母と、デイジーとアグネスとが出会い、事態は思わぬ方向へ転がっていく…というストーリー。
『侍女の物語』は結末がハッピーエンドなのかバッドエンドなのか決められなかったけど、今作は救いのあるラスト。というかハッピーエンド(だと思う)。
続編が出る時代に生きていてほんとうによかった(繰り返し)。
『侍女の物語』がギレアデ全盛期の話なら、『誓願』はギレアデの始まり〜「終わりの始まり」まですべて分かりますって感じ。
『侍女の物語』よりもいろんな視点でギレアデという国についても描かれるので、前作を読んだ人ならこっちも読んで後悔しないかと。
『侍女の物語』同様に、エピローグのような形でギレアデの崩壊後に実施されたシンポジウムの内容(スピーカーが女性っぽいのがまた皮肉)もある。
ここで今まで読んできて思った「ここはつながってるんじゃない…?」が解決されるし、『誓願』の登場人物の後年が推測できるようになっていて、なんともありがたい。
ドラマも興味はあるけど、やはりビジュアルが怖いし、映像化されたものを観ても気が滅入ってしまいそうで、躊躇している…